戦艦大和の行動年表
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太字は交戦行動
1937 11/04 | 呉海軍工蔽で大和起工 |
1940 08/08 | 進水 |
1941 09/05 | 艤装委員長・宮里秀徳大佐着任 |
11/01 | 艦長・高柳儀八大佐着任 |
12/07 12/08 12/16 | 公試中、徳山湾沖で主砲斉射 太平洋戦争勃発、呉へ回航 竣工、連合艦隊第一戦隊に編入 |
1942 02/12 | 連合艦隊旗鑑となる・司令長官山本五十六大将 |
3/23 3/30 | 出動訓練、主砲による対空実験射撃実施 出動訓練、主砲射撃実施 |
5/29 | ミッドウェー作戦参加のため柱島泊地を出撃 |
6/05 6/14 | ミッドウェー海戦 柱島へ帰投 |
8/05 8/17 8/28 | 姉妹艦武蔵竣工 ソロモン方面作戦支援のため柱島出航 トラック島へ到着 |
12/17 | 艦長・松田千秋大佐着任 |
1943 02/11 | 連合艦隊旗艦を武蔵にゆずる |
4/18 | 主砲による射撃訓練実施 |
5/08 5/13 5/21 | トラック島発、柱島泊地へ向かう 柱島泊地到着 呉海軍工蔽に入渠 |
7/12 | 呉海軍工蔽入渠 |
8/16 8/23 | 呉発、トラック島へ トラック島到着 |
9/07 | 艦長・大野竹二大佐着任 |
10/07 10/19 10/23 10/26 | トラック島発、ブラウン環礁へ ブラウン環礁着 ブラウン環礁発 トラック島着 |
12/12 12/17 12/20 12/25 | トラック島発 横須賀着 横須賀発 トラック島北方で米潜水艦スケートの雷撃を受け、魚雷一本が命中。損害軽微 |
1944 01/10 1/16 1/25 1/28 | トラック島発 呉着 艦長・森下信衛大佐着任 損害調査のため呉工蔽に入渠 |
2/25 | 修理及び改装のため呉入渠 |
4/10 4/21 4/26 4/28 | 改装完了 呉発 マニラ着 マニラ発 |
5/01 5/11 5/14 | リンガ泊地着 リンガ泊地発 タウイタウイ着 |
6/02 6/10 6/12 6/13 6/19 6/20 6/22 6/23 6/28 | 主砲による編弾射撃訓練実施 ビアク島砲撃作戦のためタウイタウイ出撃 バチャン島着 バチャン島出航、作戦中止、マリアナ沖海戦参加のため北上 マリアナ沖海戦 米機動部隊と交戦、主砲による3式通常弾射撃実施・46センチ砲の米軍向け初発砲 沖縄中城湾着 中城湾発 呉着 |
7/08 7/16 | 呉発 リンガ泊地着 |
10/18 10/20 10/22 10/23 10/24 10/25 10/26 10/28 | リンガ泊地発 ブルネイ着 レイテ沖海戦参加のためブルネイ出撃 パラワン水道で第二艦隊旗艦愛宕沈没、替わって同艦隊旗艦 シブヤン海海戦・米艦載機の攻撃で被爆。19:35武蔵沈没 サマール島沖海戦・米護衛空母群に対し通常弾24、徹甲弾100発射・水上艦艇に対する46センチ砲の最初で最後の砲撃。栗田中将レイテ湾突入を断念・ブルネイへ帰投 米艦載機の攻撃で一発着弾 ブルネイ帰投 |
11/15 11/16 11/24 11/25 | 第一艦隊解隊・第二艦隊に編入 ブルネイ発・米軍機の空襲を受け交戦・主砲30発砲 呉着、工蔽入渠 艦長・有賀幸作大佐着任 |
12/23 | 第二艦隊司令長官・伊藤整一中将着任 |
1945 01/01 | 第二艦隊第一戦隊に編入 |
2/10 | 第二艦隊第一航空隊に編入 |
3/19 | 呉付近で米巻線機と交戦 |
4/05 4/06 4/07 | 沖縄特攻突入作戦命令を受け、徳山沖で燃料4000トン搭載 軽巡洋艦矢矧、駆逐艦8隻(朝霧・浜風・磯風・霞・涼月・冬月・雪風・初霜)とともに徳山沖出撃 米艦載機386機による攻撃をうけて爆弾6、魚雷10を被爆。14:23伊藤長官、有賀艦長を含む2498名乗員とともに九州坊の岬沖90浬の海域にて沈没。救助者は269名。駆逐艦4隻帰投。第二艦隊の戦死者3721名。米戦死者14名。 |
8/15 | 無条件降伏・終戦 |
8/31 | 大和・除籍 なお、残った駆逐艦4隻のその後は次のとおり。初霜は1945年7月30日、日本海において触雷で沈没、冬月と涼月は降伏後、防波堤用に沈められ、雪風は中国・国民党政府に譲渡され艦名が丹陽となった。雪風の錨は江田島自衛隊学校に保存されている |