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CHANDLER, REYMOND /レイモンド・チャンドラー

さらば愛しき女よ パッカードAREWELL,MY LOVELY , (c)1940早川、1976

『彼が乗ってきた自動車は、ダーク・ブルーの7人乗りのパッカードで、カスタム・ビルトの最新型だった。本物の真珠をつけて乗る車だった。消火栓のところに止まっていた。外国人らしい運転手がハンドルを握って、待っていた。
インディアンは、私を後ろの座席に乗せた。私はそこに一人で座っていて、葬儀屋が丁寧に扱っている特別の死骸のような感じがした。自動車が動き出して、道路のまん中で方向を変えた。向こう側にいた警官が、小さな声で「おい」と叫んだが、慌てて体を屈めて、靴の紐を結んだ。
 私たちはサンセット・ブールヴァードを西に向かって進んだ。
運転手はなかば眠っているようであったが、コンバーティブル・セダンのスピードを楽しんでいる連中を、まるでロープで引っ張られていく車を抜くように抜いて行った。全ての信号が彼のために青に変わるのではないかと思われるほど、自動車はスピードを落とすことなく走って行った。
 やがて、ストリップ街のカーブにかかった。有名な映画スターの名前を掲げた骨董店、有名な料理人頭と高級賭博場で知られているナイトクラブ、ハリウッドの人肉市場という別名のあるしゃれた近代的ビル、白い絹のブラウスに筒形の軍帽を被った娘達が腰から下が裸の脚に長靴を履いてサービスするドライブイン・カフェなどを通りすぎた。霧のない夜に七色に輝く明りを南にみて、北に黒い影を落としているマンションがならんでいるあたりからビヴァリー・ヒルズをすぎると、急に宵闇が濃くなって、海から吹いて来る風が匂ってきた。』

--COMMENT--  久しぶりにチャンドラーを手にしてみて、1930年代のアメリカがいきいきとリリシズムあふれて表現されているのに驚かされます。
 パッカードの後席に乗せられたのは、もちろん私立探偵のフィリップ・マーロウで事件の鍵をにぎるボスのところへ単身乗り込む途中、車からながめたハリウッドの街が映画のようなシーンとなって流れる。7つの長編、『大いなる眠り』から『プレイバック』までにでてくる悪女だけどにくめない女達がチャンドラー作品独自の魅力のひとつだとつくづく思います。 (91/12)

かわいい女マーキュリー・コンバーティブルほかTHE LITTLE SISTER, (c)1949東京創元社、1959

『自動車は黒のマーキュリー・コンバーティブルだった。トップはうしろに畳まれていた。私がドアの所へいくと、ドロレス・ゴンザレスは革のシートの上を私の方へ体を滑らせた。
「あんた、運転してね。私は運転するのが好きじゃないのよ」
 ドラッグ・ストアの明りが彼女の顔をとらえた。彼女はまた服をかえていたが、燃えるようなブラウスのほかはやはり黒ずくめだった。
「西へ行くのよ。ビヴァリ・ヒリズを通って・・・」
「僕はこの街が好きだった」と、私は言った。考えつめるより何か言っていたかったのだ。「昔は良かった。ウィルシャー・ブールヴァードには街路樹があった。ビヴァリー・ヒリズは田舎町だった。ウエストウッドははげ山で、千百ドルの地所も買い手がなかった。ハリウッドは街道にひとかたまりの小さな家があるだけだった。ロサンゼルスは汚い家が不規則に建っている、日当りのいいだたっ広い町に過ぎなかったが、人が好く、平和だった。インテリをもって任じていた連中はアメリカのアテネといっていた。アテネではなかったが、ネオンが輝く貧民窟でもなかった」』

--COMMENT--
だいぶ久しぶりに、チャンドラーを手にとって再読してみたら、やはりなんとも言えずしっとりとした味わいが伝わってきます。
 ご存じ私立探偵フィリップ・マーロウものは多くがカリフォルニアを背景にしており、事件を追って走りまわる車の中でマーロウがロサンゼルスの街や生活なんかを振り返って独りごちするシーンがよくあらわれます。
チャンドラーにとって車はまさに街を感じ、考える大切な空間だといえる。 この本には出てきていませんがマーロウの車は多分、オールズだったとおもいます。上記のマーキュリーは盛りを過ぎた女優の車であり、他に、売り出し中の女優の1942年キャディラックなども登場しています。 (91/10)

プレイバックフリートウッド・キャディラックPLAYBACK (c)1958清水俊二訳 早川1977

『「そこに書いてあることのほかは知らないわ。指示されたとおりにすればいいのよ」
「大事なことが記されていない。こんな女が二十九になっていれば、たいてい結婚している。結婚指輪のことも宝石のことも記していない。いわくありそうだ」
彼女は腕時計をちらっとながめた。「とにかくユニオン停車場へ行くことよ。時間ががあまりないわ」彼女は立ち上がった。私は彼女が白いレインコートを着るのを手伝って、ドアをあけた。
「あんたの車で来たの?」
「そうよ」彼女は途中まで行って、ふり返った。「たった一つ気に入ったことがあるわ。すぐ手をださないことよ。礼儀も心得てるわ−見方によるけどね」
「まずいテクニックさ−すぐ手を出すのはね」
「それから、気に入らないことも一つあるのよ。なんだか当ててごらんなさい」
「残念だがわからない−ぼくが生きているのが気に入らない人間はいるがね」
「そんなことじゃないわ」
私は階段をおりて、彼女のために車のドアをあけた。ちょっとした車だった。フリートウッド・キャディラックだ。彼女はかるくうなずいて、丘を下っていった。』
--COMMENT--
 以前に読んだが、名台詞となった『タフでなければ生きていられない。やさしくなければ生きている資格がない』がでてくる作品なので、どんなシーンでマーロウが言ったのかを思い出そうと改めて手に取ってみた。ウーン、やっぱりロサンゼルスと女と車を描かせたらチャンドラーの右にでる者はない! 弁護士から女の尾行を依頼され、その事務所の秘書がマーロウのところに調査書類をとどけにくる冒頭の場面が上の引用だが、これだけでも、会話といい、女との微妙な関係、車種から伺える女のキャラクター・・が決まっています。まさに、大人のミステリだ。
この秘書とマーロウがまた出会って、彼女の車に乗る場面があり、『・・・キャディラックまで歩いてゆくあいだも、私は彼女にふれなかった。彼女の運転は見事だった。女が運転がうまい場合には、その女は完全に近いといってよかった・・・・』とあり、主役の女性でははないのですがだんぜん気に入ってしまいます。「・・・それから、気に入らないことも一つあるのよ。・・・」も意味しんですが、あとにちゃんとその答えが出てくるのでお楽しみに。
 さて、車については、他にクライスラー・ニューヨーカー、ビュイック・ロードスター、薄い緑とアイボリーのツートンのキャディラック・コンバーティブルなどなど50〜60年代を髣髴とさせるクルマたちがふんだんに登場します。(1998/12/01)
レイモンド・チャンドラー読本/チャンドラー生誕100年記念早川 1988

この本にはシスコ・マイオラノスJr.編の「チャンドラー小百科事典」があって、チャンドラー作品に登場する車、娯楽、酒、銃器、書名、植物、人物、動物、ファッション、料理・食品リストがまとめられている。冒頭のジャンルが車であり、ずいぶん様々なクルマに愛着をもって登場させていたことが伺えます。
イソッタ・フラスキーニイタリア車。1930年Tipo8Aが有名『脅迫者は撃たない』
オールズモビルマーロウの愛車『長いお別れ』『プレイバック』
キャディラック1938年あたりのシリーズ90のV12モデルか『高い窓』
キャディラック・クーペ1937年シリーズ70か『プレイバック』
キャディラック・フリートウッドV8の8リッターエンジンは当時世界最強『プレイバック』
キャディラック・リムジン1941年のシリーズ60ぐらいか『長いお別れ』
クライスラーマーロウの車。1937年V8エアフローか『湖中の女』
クライスラー・コンバーティブル1958年ニューヨーカー・コンバーティブルだと面白い『プレイバック』
クライスラー・ロードスター不評だったエアロフロー以降のモデルか『雨の殺人者』
ジョウェット・ジュピター英国の2シーター・スポーツ『長いお別れ』
デソート1934年のエアフロースタイルのSE型か『犬が好きだった男』
デューセンバーグカスタムメイドの超高級車。1936年頃とするとJあるいはSJか『ヌーン街で拾ったもの』
ドッジクライスラー系の実用車。1936年頃だとフラッシュ・サイドとなっていないモデルか『金魚』
パッカード「その良さは所有者に聞け」の広告キャッチが有名。直列8気筒160馬力『さらば愛しき女よ』
パッカード・クリッパー流れるようなスタイリング。ハリウッド時代のチャンドラーが使っていた『湖中の女』
ビュイックシリーズ50のスーパー・フェートンか『さらば愛しき女よ』
ビュイック・ロードマスターロードマスターは1948年に登場。V8の6リッター・エンジン『プレイバック』
フォード・ロードスター1932年の頃のV8モデルか『金魚』
プリマス・セダンクライスラー系の実用車。1937年頃なら直6モデルか『大いなる眠り』
ポンティアック・セダン1957年モデルは最もスポーティだった『マーロウ最後の事件』
マーキュリー・クーペフォード系の中級車。V8の4リッター『高い窓』
マーキュリー・コンバーティブル4ドア4シーター『高い窓』
マーモンV16モデルをだした大型高級車『指さす男』
ラサール・クーペ1927年に登場したキャディラックの廉価版。『"シラノ"の拳銃』
ロールス・ロイス・シルヴァー・レイス1947年に登場した比較的小型の4.2リッター直6『長いお別れ』
(1999/11/09)

深夜の告白(同名映画シナリオ)DOUBLE INDEMNITY (c)1944森田義信訳 小学館 2000

『車の中に入るフィリス。ネフは地面を払いながら車を回って助手席へ。毛布を後部座席に放る。
車のなか。運転席のフィリス。かたわらにはネフ。フィリス、ドアを閉める。
ネフ、ダッシュボードにふくらんだ脚をあげ、ぐるぐる巻きにした粘着テープをはがし始める。
スタート・ボタンを押してエンジンをかけようとするフィリス。だが空回りしてかからない。もう一度ボタンを押すフィリス。だが今度もダメ。ネフ、フィリスを見る。そして三度目。まだエンジンはかからない。バッテリーが切れかけている様子。
フィリス、背もたれに寄り掛かる。絶望のまなざしで見つめあう二人。
一瞬間があって、今度はネフが上体をかかめ、ゆっくりイグニション・キーをオフにする。そして親指をスタート・ボタンの上へ。息詰まる瞬間、思いきりよくスタート・ボタンを押すネフ。
エンジンが不気味にあえいでくぐもった音を立てる。ネフはイグニッション・キーをオンに回し、その瞬間、ハンド・スロットルを開く。弱々しい音をたてていたエンジンがようやくかかる。
スロットルを元にもどし、滑るように元の体勢へ戻るネフ。
再び見つめあう二人。その顔にはまだ緊張の色が浮かんでいる。
ネフが言う「行こうか、ベイビー」』
--COMMENT--
パラマウントのためにビリー・ワイルダーと共著で書き上げた映画シナリオ。ジェイムズ・M・ケイン『殺人保険』が元になっていて、チャンドラーの最初で、最良のシナリオと言われる。
上の引用にあるように、映画シーンがリアルに目に浮かぶし、研ぎすまされた緊張感がすごい。多分、映画で見るよりインパクトが強いのだろう。
 保険外交員ネフの車は1938年型ドッジ(ダッジ)・クーペ、上のフィリスの車はラサール・クーペ。(2000.9.17)

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