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Siobhan Dowd /シヴォーン・ダウド

ボグ・チャイルドオースティン・マキシBOG CHILD (C)2008千葉茂樹訳 ゴブリン 2010

『タリー伯父は、運転の練習のために3時にやってきた。ファーガスは家族で使っている古い茶色のオースティン・マキシの運転席に座り、ミラーを確認してから車を出した。いまでは、運転には自信を持っていた。ギアチェンジは滑らかで、ペダルは自分の足の延長のようだ。ステアリングの微妙な感覚もわかっている。  雨は東に遠ざかったが、どんよりした天気だ。店の灯りはついていたが、ガソリンスタンドに父の気配はなかった。眼下に見える湖に生命は感じられない。
「いやな天気だな」タリー伯父がぼやいた。「電話をし忘れたガールフレンドみたいだ」
「どのガールフレンドのこと?」
「道路から目を離すな。湖には落ちたくないぞ」-中略-
 頭上の空には青い裂け目が見えた。山腹では雲が切れ始めた。急な坂に、あやうくエンストさせるところだった。
「木をつけろよ。さもないと後ろ向きに転げ落ちるぞ」
「ぼくはここが好きなんだ」ファーガスは道路にいた一頭の羊に向かってクラクションを鳴らした。羊はぴょんと跳びのいて、ハリエニシダの原野に入っていった。「ここまで登ってくると、なんだか呼吸が楽になる。紛争も追いかけてこないしさ。やっかいごとは、下に留まってる」
タリー伯父はため息をついた。「まったく、めちゃめちゃな国だよ。下に広がっているのはな」
 ファーガスは山のてっぺんで車を停めた。眼下に見える世界は、渦巻き模様の丸いおはじきのようだ。』
--COMMENT--
 アジアや中南米の作家の人権活動などに携わったアイルランド系女性作家。47歳で亡くなったあと遺作として刊行。IRAの紛争、テロが続いていた1981年、大学進学を控えた高校生ファーガスの身の回りの政治、家族、友だち、泥炭のなかで発見した鉄器時代の少女の遺体…を通して語られる闘いと未来への希望。重いテーマを扱いながら、北アイルランドの風を感じさせる良質な現代文学であった。
 引用は、ファーガスが伯父に同乗してもらい運転の練習をするシーンで何回も練習場面が出てくる。考古学者の母娘が乗ってくるグリーンのルノー、ファーガスに何かとちょっかいを出してくる不良少年のトライアンフTR7など。(2011.4.30 #684)


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