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LEHANE, Dennis/デニス・レヘイン

シャッター・アイランドビュイック・ロードマスターSHUTTER ISLAND, (c)2003加賀山卓朗訳 早川書房 2003

『テディは身をかがめて森の中を引き返し、コーリーの家の横に出た。二階に人のいる音がした。ひとりは壊れた屋根の上に出て、テディに背中を向けている。家の西側の車庫に車が停められていた。47年製のビュイックのロードマスターだ。外は栗色、中は白い革張りで、ハリケーンの翌日にワックスをかけられて光り輝いている。一目で車を愛していることがわかった。
テディは運転席のドアを開け、買ったその日のような革のにおいを嗅いだ。グラブ・コンパートメントを開けると、中にいくつかブックマッチがあった。すべてつかみ出した。
ポケットからネクタイを取り出し、地面から小さな石を拾って、ネクタイの狭いほうの端にくくりつけた。車のボンネットを開け、ガスタンクのキャップをはずすと、石のついたネクタイをパイプに通しタンクに中に下ろした。パイプの外に出ているのは花柄の太い部分だけで、あたかも人の首から垂れ下がっているように見えた。
テディはドロレスがこのネクタイをくれた時のことを思い出した。彼女はこれを彼の眼に巻きつけ、膝の上に乗ってきた。
「悪いな、ハニー」と彼はささやいた。「おまえがくれたからずっと愛用してたが、実のところ、おそろしく趣味が悪い」
空に笑みを向けて彼女に謝り、マッチをすって、ブックマッチにまるごと火をつけ、その火をネクタイに移した。そして必死に駆け出した。』
--COMMENT--
 ボストンの沖に位置して精神病院だけのシャッター島を舞台に、なんか不気味だな〜と思いながら読み進むと…物語が妙にずれていって思いもしない展開にあゆみ始める。うーん、余程慎重に読みこんでいないとわけがわからなくなって焦ってしまうほど。
 引用したのは、島から逃亡するため、車のタンクに着火させるシーン。その当時の車は、ボンネットの中に給油口があったのだろう?! (2004.4.6)

スコッチに涙を託してポルシェ・ロードスターA Drink before the War (c)1994鎌田三平訳 角川 1999

『わたしは美容院と花屋の間にあるガレージに入っていって、18番のスペースのところで足を止め、わたしの大切な宝物からカバーを外した。
 誰にでも、おもちゃが必要だ。わたしにとっては、1959年型ポルシェ・ロードスター・コンバーティブルがそれだった。ボディはロイヤルブルーで、木目仕上げのステアリング・ホィールとツインパネルのコックピットを装備している。コックピットが普通はジェット機に使われる言葉なのはわかっているが、時速140マイルくらいまでスピードをあげると、にじんで見える道路標識をもう二つ三つ過ぎると離陸の瞬間が訪れるにちがいないという、たしかな手応えがあるのだ。
 内装は贅沢な白いレザーで統一されていた。変速レバーは磨き上げられた白目(※ビューター、とふりがな)のように輝き、クラクション・キーにはきりりとした馬のエンブレムがついている。わたしは運転するより多くの時間を、いじることに費やしていて、週末には好きなだけ一緒に居てやり、磨いてやり、新しいパーツと交換してやるのだ。これに名前をつけるほど溺れてはいないと自負しているのだが、アンジーに言わせれば、それはわたしに想像力が欠けているだけらしい。
 キーをさしこんでひねったとたん、ロードスターはジャングル・キャットのうなり声とともに始動した。わたしはシートの下からベースボール・キャップをとりだすと、急いでジャケットを脱ぎサングラスをかけ、車をガレージから出した。』
--COMMENT--
 レヘインの処女作(シェイマス賞1995 最優秀処女長編賞)、パトリック・ケンジー&アンジェラ・ジェローナ・シリーズ全5作の第一作は、パトリックに依頼された盗難資料の回収の仕事からボストンのうらさびれた地区でのギャングの間の熾烈な抗争事件に巻き込まれていく。貧困、黒人問題、幼児虐待…の社会問題を前面に押し出し、正義を尊重する主人公と夫婦間で問題をかかえる助手アンジーというこの頃のハードボイルドの定番のような設定ではあるが、ストーリーのスピード感、粋のいい会話、ボストンの情景等々、読み応え十分。
 引用は、主人公の愛車ポルシェだが、しがない探偵にしては不似合いか? 路上に停めて盗難防止のためにためにかける"チャップマン・ロック"というはどんなものかしら? 事務所の"社用車"が深緑色の1979年型ボラーレ…おんぼろで音はうるさく最悪の走りの愛称"ボビースト"※由来不明、殺害された掃除婦の"濃いブルーの1979年型シボレー・マリブ"、彼女の妹の81年型ホンダ・シヴィック、パトリックの弁護士のレクサス、葬儀に集まった人たちの車は<…たくさんのおんぼろ車に加えて、黒のBMW、シルヴァーのベンツ、マセラッティ、RX-7、それに警察の一大隊のパトカー…>、酔っ払った刑事がどうしても運転して帰ると言い張る自分のカマロ、ギャングたちのムスタングなど。駐車違反車両のタイヤにとりつける車輪固定具は"デンバー・ブーツ"と呼ばれていたり初見のクルマ用語がいろいろ出てくる。 (2010.2.10 #622)

闇よ、我が手を取りたまえクラウン・ヴィクトリアDarkness, Take My Hand (c)1996鎌田三平訳 角川 2000

『ディアンドラの家を出たのは真夜中近くなっていて、ウォーター・フロントを車で南に向かうと、通りは静まりかえっていた。気温は、依然として10度ほどだった。窓をおろして、穏やかな風でかび臭い車内を清めた。
 社用に使っている車が、忘れられた荒涼たるロックスベリーの路上で発作を起こした後、友人のデヴィンが教えてくれた警察のオークションで、この86年もののこげ茶のクラウン・ヴィクトリアを見つけた。エンジンがとりわけすばらしかった。30階建てのビルからジャンプして、車が粉々になっても、このエンジンはまだ動いているだろう。ボンネットの下のあらゆるものに金を注ぎ込み、最高級のタイヤに換えたが内装は手に入れたときのままだった―天井とシートは以前の持ち主の安タバコで黄ばみ、後部シートは破れてフォームラバーがはみ出ており、ラジオは壊れている。後部ドアは二つともペンチでねじられたかのようにひどくへこんでおり、トランクの塗装は丸くはげて下塗りが覗いている。
 見るに耐えない代物だったが、まともの車泥棒なら鼻もひっかけないことは間違いない。』
--COMMENT--
 Patrick and Angelaシリーズ2作目は、精神科医の息子が何者かに命を付狙われパトリックとアンジーが身辺警護をする間に凶悪な殺人事件が続く。まったく犯人の目星もつかないなか、二人にも殺人鬼が迫ってくる。壮絶なアクションに加えて、レヘインのとことんディテールにこだわった素晴らしい文体が楽しめる。
巻末解説にいわく「…チャンドラーを髣髴とさせる独特の比喩と洒落た会話の多用、思わずにやりとさせるウィットに富んだ会話や絢爛たる比喩…」(茶木則雄さん)
 前作『スコッチに涙を託して』の社用車ボラーレもオンボロそうであったが、今度の警察上がりのクラウン・ヴィクトリアも相当なもの。アイリッシュ・マフィアの"金色のディアマンテ"、殺人犯手先の"黒のニッサン・セントラ"、FBIの"ダークブルーのリンカーン"、主人公の愛車63年ポルシェ、殺人犯のグランド・トリノなどなど。
 洒落た比喩って例えばこんなセンテンスもある。「…わたしはため息をついた。ブッバに社会通念と道徳概念について語ろうとするのは、ビッグマックにコレステロールを説明するようなものだ…」 (2010.2.23 #623)

愛しき者はすべて去りゆくレクサスRX300Gone, Baby, Gone (c)1998鎌田三平訳 角川 2001

『「オーケイ。通信終わり」彼はウォーキー・トーキーをシートに放った。彼は急に頭をあげ、通りをこちらに向かって走ってくる一台の車を見つめた。「あれはなんだ?」
 くすんだグレーのレクサスRX300で、ナンバープレートにはPHAROとある。わたしたちの横を通り過ぎ、2,30ヤードいったところで急にUターンし、舗道に沿ったスペースに割り込んで路地の出口をふさいだ。5万ドルはするスポーツ仕様のオフロード車で、このあたりでサファリ旅行をしたくなっても十分に対応でき、さらに今は隅から隅まで絹のクッションでこすって磨いたように光っていた。あたりの通りに沿って停まっているエスコートやゴルフやジオ、それに割れたリア・ウィンドウの上に緑のビニール袋を張った80年代はじめのビュイックとよく調和している。
「RX300」ブルサードはCMのアナウンサー風に渋い声で言った。「ヤクの売人に新鮮な安らぎを与え、吹雪も悪路もものともしない」彼はリア・ミラーを見つめたまま身を乗り出し、わたしたちの間の背もたれに腕をかけた。「紳士淑女のみなさん、ローウェルの街の帝王、ファラオ・グティエレズをご紹介します」
 すらりとしたヒスパニックの男がレクサスから降りてきた。黒い麻のパンツに、首の部分を黒い飾り鋲で留めたライム・グリーンのシャツ、上には黒いシルクのディナー・ジャケットをはおり、そのテイルが膝まで届いている。
「かなりファッショナブルね」アンジーが言った。』
--COMMENT--
 Patrick and Angelaシリーズ4作目は、4才の少女が誘拐され全く手がかりのない事件に二人が調査にのりだす。子育てを放棄したアル中の母、それをなんとか助けようとする祖父母、幼児虐待犯罪対策班の刑事を交えた迫真の物語進行が素晴らしい。まったく想像さえできなかったどんでん返しの哀しい結末や、運命を大きく分けてしまうちょっとした手違いなど、唸ってしまう。
 引用は、被疑者のヤク売人をブルサード部長刑事とパトリックたちが監視するシーン。ファッショナブルな街のギャングにも人気のレクサスRXだ。誘拐された現場近くに放置されていた"70年代末のグランド・トリノ"、パトリックの助っ人で強面のブッバのハマー、幼児虐待犯罪対策班刑事のブロンコなどが出てくる。  レヘインの街、人々、自然についてのきめ細やかな表現が気に入っている(鎌田三平さんの名訳にもよるのだろう)が、そんな例を思いつくままに拾ってみた。
◇…夕日がわたしの視線を横切って西に動いていった。10月初旬の空はまだ淡い夏空の白をとどめてはいたが、その白のなかに赤錆色の断片が漂ってきていた。一人の子どもが「ヴィニー、待って!ヴィニー!」と叫ぶ声が聞こえ、それは地上4階のここではどこか寂しげに、余韻を残して響いた。ビアトリスとライオネルの車が路上でUターンし、視界から排気ガスが消えるまで、わたしは見送った。
◇…わたしは鉛筆をあきらめ、しばらく窓の外を眺めた。赤錆色の一刷けは血の赤へと深まり、空の白はしだいに濃い青に変っていった。夜を告げる最初の黄色い電燈が通りをはさんだ向こうの3階建てのアパートで灯った。網戸を通して入ってくる空気の匂いが、思春期に入りたてのころや、草野球を思い出させ、長く平和な夜へと移る一日を連想させた。
◇…街路には夕食を終えた人々が家から出始めていた。小さなフロント・ポーチに椅子を持ち出している者もいる。バーや野球の試合に向かう者もいた。発射されたばかりの、ボトル・ロケットの火薬の臭いも嗅ぎ取れた。湿った夜は深い青と、ふいにやってくる黒の間の、痣のような色合いのなかに、吸い込まれていない息遣いのように漂っていた。
◇…わたしたちは朝の4時にウェスト・ブロードウェイを歩いていた。夜明け前の4月の風が、わたしの襟元に冷たい指先を忍び込ませてきた。《引用ここまで》
 情感込めすぎのようにも思うが、ストーリーのトーンをより味わい深くさせている。ただし、邦訳タイトルはどうも好きになれないが… (2010.3.8 #624)

雨に祈りをシェルビー・ムスタングPrayers for Rain (c)1999鎌田三平訳 角川 2002

『ピアスはロフトから四分の一マイル離れた、サウジーのAストリートにあるガレージを駐車場にしていた。ある晩、ネルソンは、ピアスがとくに目的もなく車を出して運河沿いをぶっ飛ばし、港を回ってからガレージのねぐらに戻ってくるところを見たことがあった。わたしは似たような男を大勢知っている。…中略…
 わたしたちは入口でチケットをとり、二階分あがってシェルビーのとなりに車を止めた。厚いカバーがかけてあっても、ひとめでそれとわかった。…中略…
 カバーをはがしたわたしは、息を呑みそうになった。アメリカ車における68年型シェルビー・ムスタングGT-500の地位は、文学におけるシェイクスピア、コメディにおけるマルクス兄弟にひとしい―すなわち、それより以前のものはすべて振り返ってみると見せかけに過ぎず、それ以降のものはすべて、一瞬たりともその完璧な水準に及ばない。
 欲望にまけて膝から力が抜ける前に、わたしは車の下にもぐりこみ、エンジンブロックと防火壁の間に手をすべらせて、たっぷり3分辺りを探ってから盗難防止装置の受信機を見つけた。受信機を引っ張って外し、転がって外に出ると薄い金属片を使って運転席のドアを開けた。ボンネットをあけるレバーをひき車の前にまわり、エンジン・ヘッドカバーの上部に刻印されたCOBRAの文字と、きらめく428エンジンが発するであろう、凝縮されながらも確実なパワーを想像して恍惚に近い気持ちで見つめた。
 ボンネットの中は清潔な香りさえした。エンジンもラジエーターもドライブシャフトもマニホルドも、たったいま組み立てラインから取ってきたばかりのようだった。スコット・ピアスは人類のことは何にも思っていないとしても、この車を愛していることだけは明確だった。
「ごめんよ」わたしはエンジンに声をかけた。それから、砂糖とチョコレートシロップと米を取りにアンジーの車のトランクに行った』
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 Patrick and Angelaシリーズ5作目は、裕福な家庭で育てられ何の問題もなかった若い女性が投身自殺し、その件を調査した探偵も失踪したあと、パトリックとアンジーが再調査に乗り出す。本作も父と子の間の葛藤から事件が派生してくるレヘインお得意のシナリオだが、犯人に迫る二人は壮絶な反撃に出会う。ストーリーもアクションもどんどん凝ってきて面白いのだが多少重すぎる感も…シリーズの最終作品だそうでちょうど区切りとしてはよい頃かもしれない。
 引用にでてくるシェルビームスタング・コンヴァーティブルはもちろん400台ほどしか製造されず、車好きのアメリカ人にとってはよだれがでるなんてものじゃなくまさに国宝級の価値がある。
亡くなった女性のカローラ(カムリが欲しかったけど手が届かなかった…)、彼女の恋人の"明るい黄緑色の1998年型ビートル"。パトリックの弁護士はベントレーとメルセデスV10と2台のレンジロヴァー、そして「庶民のふりをしたいときはレクサスに乗る」とふるっている。ストーカー男性の"パールグレイのアウディ・クワトロ"、パトリックの業務用車だったクラウン・ヴィクトリアの後釜が91年型の黒いチェロキー、犯人側の男の黒いBMWと"濃いピンクのリンカーン"など錚々たるクルマが登場。 (2010.3.15 #625)

穢れしものに祝福をフォード・ファルコンSacred (c)1997鎌田三平訳 角川 2000

『デジレーは駐車場に向かい、フロリダに発ってからそのままだったジェイの濃紺の1967年型フォード・ファルコンのコンパーティブルのほうに近づいた。
 わたしは深く抑えようのない嫌悪感を感じながら、ドアにキーをさしこむデジレーを見ていた。ジェイがその車を復元し、エンジンを換え、特別な部品を全国から探すためにどれくらいの時間と費用をかけたかを知っていたからだ。たかが車にすぎないし、車の着服はデジレーの罪の中ではごく軽いものだが、わたしにはこの駐車場にまだ生き残っていたジェイの分身をデジレーが消し去ろうとしているように思えた。』
--COMMENT--
 Patrick and Angelaシリーズ第3作は、大富豪から失踪した娘の調査を依頼され、パトリックの師にあたるジェイの敵討ちの結末へと展開する。本作も父と子との埋められない溝がテーマになっていた。事件の中心となる娘の極端な性格設定がやりすぎでイマイチかなぁ。
 引用のファルコンはそんなにヴィンテージ度が高いとは知りませんでした。富豪が事故にあったとき乗っていたのがジャガーXKE、娘が卒業祝いにもらった白のサーブ、フロリダ・タンパでの迎えの車がベージュ色のレクサス、同地でレンタルするライトブルーのダッジ・ステルスとセリカ、ジェイがフロリダで乗ったミツビシ3000GTなど。 (2010.3.21 #626)

ムーンライト・マイルハマーMoonlight Mile (c)2010鎌田三平訳 角川 2011

『ケニイは肩をすくめて煙草に火をつけたが、次に大声で「おい!」と叫んだ。わたしがキッチンの御影石のカウンターの上に置いてあったキーの束を取り、正面玄関から走り出たからだ。黄色いハマーが円形のドライブウェイに停めてあった。《デトロイトはどこで間違えたのか》を絵に描いたような車だ。巨体のせいで驚くほどの燃費の悪さから、イエメンのサルタンでさえ乗り回すのを控える。これでGMは企業救済措置を要求してのだからたいしたものだ。
 ハマーに乗り込んで30秒ぐらいは、まだダッジ・ラムが見えていた。車は空き地を出て、東にあるゲートに向かった。そこで、わたしからは見えなくなったが、五割の確率で国道一号に向かうと踏んで、シャーウッド・フォレスと・ドライブを猛スピードで走り、ロビンフッド・ブールヴァードをさっきと反対方向へ進んだ。』
--COMMENT--
 Patrick and Angelaシリーズはこの第6作で最終巻を迎えた。パトリックが12年前に救出した当時4歳の少女が再び失踪し、そのときのわだかまりを残した思いからロシアン・マフィアを相手に追跡を開始する。シリーズ前作から11年もの空白があったせいか、いまひとつ緊張感に欠ける構成や、主人公が探偵を廃業するに到る描写―単に歳だからふう―が物足りない。
 引用は犯罪ビジネスをひたはしる男のハマーでマフィアを追跡する主人公。<ハマー>についてよく評される言い方になっている。中国企業に譲渡される予定だったハマー・ブランドは、2010年に中国政府が承認せずお流れになり、その後どうなったのかニュースもない。無謀運転で起訴された大物判事の息子のダッジ・ヴァイパーと2009年型アストン・マーチンDB9、主人公のぽんこつジープ(以前はポルシェで、肩で風をきっていたんだが…)、少女の育ての親のインフィニティSUV、マフィアの親分のポルシェ・タルガ、少女のホンダ小型車などが登場する。 (2011.7.21 #696)


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