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LOVESEY, PETER/ピーター・ラヴゼイ

バースへの帰還MGB,ヴォクスホールTHE SUMMONS, (c)1995早川,1996

『埒があかない。ブリットがつきあっていたほかの恋人の話しを出しても、効果はなさそうだ。「車のことですが、ビリントンさん。車種は?」
MGB
「えっ?」 
彼が目をあけた。「MGBっていったんだよ」
車にうといピーター・ダイヤモンドでさえ、MGBが最近クラッシックカーとして珍重されていることは知っていた。1980年ごろに製造中止になったのだ。こんな冴えない男がMGBを乗り回していようとは思いもしなかった。「休暇で留守にしてたあいだ、MGのスポーツカーが二週間も路上に置きっぱなしだったというんですか」
ビリントンはまばたきをして、目をみはった。「そんなことは言っていない」 「それが理由で、殺しのあった晩に家にもどったんだと、さっきいったばかりじゃないですか。車のキーをとりにいったと」
「わたしの車のことじゃないと思ってた。わたしのは旧式のヴォクスホール」 勘違いというわけだ。本当に?しれとも故意に?
「じゃあ、MGBってのは何なんで?」
「ブリットの車だった。彼女がピンカートンとつきあってたころの。色は赤。すばらしい小型車だな」』
--COMMENT--
 警視ピーター・ダイヤモンドのシリーズ3作目。4年前手がけた美人ジャーナリスト殺人事件の再捜査がテーマだが、謎のときほぐし、型破りなダイヤモンドのキャラクターなど、さすが英国ミステリーの真髄と感じさせる作品だった。
上記の会話に出てくるMGB(これがそのうち事件の核心につながる!)、だのヴォクスホール・キャバリエ、BMWだのがちょこちょこ顔を出します。 それにしても痛快なミステリーであり、超お奬め間違いなし!(97/03)

最後の刑事BMW,トヨタ、メルセデスTHE LAST DETECTIVE, (c)1991早川,1993

『午前11時すこしすぎ、バスウィック・ヒルからのびる人目につかない道路のひとつを少しいった先にあるジャックマン邸の車寄せへ、自家用車や警察のヴァンの一隊が流れ込んだ。先頭の車はダイヤモンドのBMWだった。助手席にジャックマンが座っていた。ジョン・ウィグフルが彼のトヨタに部長刑事二人と警官一人を乗せて後に続いた。
 ジャックマンのブルーのボルボは現在、マンヴァーズ・ストリート署で法医学上の検査を受けている最中である。ダイヤモンドは研究所の連中にキーを渡すついでに、こう言った。「俺を失望させるなよ、いいな。犯人どもはいつも、すべての痕跡を消し去った信じているんだ」
・・・・・・
バースの方角から車が近づいてくるのが聞こえた。車の姿が見える前にフルビームのヘッドライトが塀や生け垣のずっと上を照らし出した。進み方がのろのろしていて、どこかの家を探しているかのようだった。やがて車が姿をあらわし、ライトが弱くなった。メルセデスだ。私の立っている場所のちょうど向かい側の道路ぎわで止まった。ドライバーは黒っぽい髪の女性だった。
「あなたが、ミセス・ディドリンクスン?」メルセデスで来るとは思ってもいなかった。・・・
わたしは車に乗り込み、1マイルほどのあいだ天気や観光客の話をしながらメルセデスでブラスノッカーヒルの急カーブを曲がる彼女のハンドルさばきをほれぼれと見つめた。運転が楽しくてたまらないと言う走りだ。なぜもっとスポーティな車を選ばなかったのかと、不思議に思った。彼女はメルセデスを運転するには小柄すぎる。』
--COMMENT--
 英国ジョージ王朝様式の家々がならぶ歴史の町バースの湖に女性の死体が浮かび、警視というより探偵のようなピーター・ダイヤモンドが謎ときに挑戦する。上質なパズルと予期せぬ結末など、まさに英国探偵小説の伝統を感じさせる。またさすがラヴゼイらしく、たくさんの車を登場させ、引用にでてくるメルセデスは事件の重要な証拠となる。1992年アンソニー賞最優秀長編賞(93/08)

地下墓地ポンコツ車THE VAULT (c)1999山本やよい訳 早川,1999

『廊下からジョージナの機敏な足音がきこえてきた。 「警察監視評議会が捜査の進捗状況をこまめに報告してほしいですって」勢いよく入ってくるなり、もったいぶった口調でダイヤモンドにいった。
「スター議員ですか」
「私がジョン・スターといっしょだったって、どうしてわかるの」
「署員用の駐車場をみたら、わたしのポンコツ車のとなりに議員のメルセデスがあったものですから」
「とにかく、座ってちょうだい」スコッチは出てこない。レモネードすらない。「マスコミの反応はどうだった?」
「わたしを生きたまま飲み込みはしなかたです」ダイヤモンドは答えた。「しかし、やたら大勢押しかけてきましてね。がなりたてなきゃならなかった。あれをやると、のどがヒリヒリしますな」 副本部長は飲み物の戸棚のほうへ目を向けもしなかった。「みんな、どんな点を知りたがったの」 「連中が興味を持っているのはフランケンシュタインだけです。フランケンシュタインですよ! こういう仕事をしていると、ろくでもない目にあうもんです」
「フランケンシュタインとの関係、あなたは、知ってたの?」
「今日の午後、初めて知りました。ジェイン・オースティンがこの街に住んでたことは知ってますし、ボウ・ナッシュやウルフ将軍のことも知ってます。フランケンシュタインも住んでいたとは知りませんでした」
「正確にいうと」副本部長が彼の過ちを正した。「住んでいたのは、『フランケンシュタイン』の作者であるメアリ・シェリーよ」』
--COMMENT--
 ダイヤモンド警視シリーズ第6作。パースの古代遺跡から出土した手の骨が発見され、そこがジェイン・オースティンが『フランケンシュタイン』を執筆した家の地下だったことから、捜査がややこしくなっていく。上質な英国サスペンスとは、こういう作品か・・と思わせる様々な趣向が大変面白い。引用した部分は、そりが合わないダイヤモンドの上司の女性副本部長との会話だが、皮肉っぽい感じかとてもよくでている。
<わたしのポンコツ車>は、なんでしょうね? どこにも車名は出てきていなかったようです。ほかにも、<人形つかい>の黒のメルセデスが登場していました。(2000.2.11)

暗い迷宮トヨタUpon a Dark Night (c)1998山本やよい訳 早川,1999

『前方で急ブレーキの音が響いて大気を切り裂いた。ところが、予想された衝突の音はしなかった。バックを始めたエンジンの甲高い音、つづいて、ギアチェンジの音。 あわてて駆けつけると、ちょうど、トヨタがパトカーとの衝突を避けるために私道のふちに乗り上げ、生け垣をこわして畑につっこみ、ふたたびエンジンをふかしてから、伸び放題の芝生の上をジグザグに走って、通りにいちばん近い端にある木のゲートに戦車のごとく突進していくところだった。
「追え!」
パトカーの一台がブルーのライトを光らせて、早くも追跡にかかろうとしていた。ダイヤモンドは別のパトカーに飛び乗り、彼がドアをしめないうちに車は走りだした。
・・・
道路脇に停まっていた車のサイドミラーをもぎとりそうになった。田舎道を時速八十マイルで走っているのだ。
「運転歴は長いのかね、ロバーツ」
「十七の誕生日からずっと運転しています」
「いまいくつだ」
「十八です」』
--COMMENT--
 ピーター・ダイヤモンド警視シリーズ第五作に遡って読んでいます。いやー、ダイヤモンド警視のキャラクターとか、生活感あふれる描写、ユーモアが素敵だ。記憶喪失の女性が発見されてからまた失踪し、同時に奇妙な自殺事件が相次ぎ、警視の推理がその糸をたぐりよせる。上記は、逃走しようとする犯人をパトカーで追跡するシーンで、車は"赤いトヨタ・プレヴィア"となっている(プレヴィアって、エスティマのはず)。他に、女性を病院に運んだ魚のエンブレムのあるベントレー、建築家が借りていたBMW、食事宅配ボランティアのイスズ・トルーパー(珍しい!日本車名ビッグホーンです)など凝った車が登場します。(2000.3.7)

猟犬クラブプジョー306BLOODHOUNDS (c)1996山本やよい訳 早川,1997

『「ご主人の帰宅が遅かったとおしゃっただけです」ダイヤモンドはいった。「どのぐらい遅かったんでしょう」
「あら、困ったわ。ストップウォッチで計ってるわけじゃないし。たしかベッドに入ったあとだったわ。真夜中ごろ。まさか、主人まで容疑者にされてやしないでしょうね」 「容疑者の枠を限定(Fix)しようとしている、ただそれだけのことです」ダイヤモンドははぐらかした。
 彼女は目をぎょろつかせた。「ついでに、調子の悪いうちの車の排気管も修理(Fix)してくれない?」
「ほう、車をお持ちですか」好機が訪れたときには、彼自身も頭の回転が鈍い方ではなかった。 「当然でしょ、車を持つのは。ここでビジネスをしてるんですもの。それと、あなたから質問がくるといけないからいっとくけど、月曜の夜は使わなかったわ。必要なかったから。画廊から聖ミカエル教会までは歩いてすぐなの」
「車種とナンバーを教えてくれますか」
彼女は新型プジョー306だと答えた。色は白。絵の商売は儲かるらしい。こんな不景気な時代なのに、あるいは、バーナビー・ショーが買ってくれたのかもしれない。』
--COMMENT--
 未読だったシリーズ第4作だが、期待違わずの面白さ。世界最古の切手が盗まれたり、運河の船上で密室殺人があったり、ミステリ読書会<ブラッドハウンズ・クラブ>のまわりで事件がおきる。この読書会が舞台になるので、会員が好みのミステリについて話す場面が多く、話題の作家や作品をほめたりけなしたり・・ 登場人物一人一人のキャラクターを浮き彫りにする手腕はすごいですね。引用したのは、猟犬クラブの画廊女性オーナに事情聴取するシーン。ほかに、あまりものを言わない風変わりなメンバーのスコダ(なんと!)、同じくメンバーの老婦人の濃いブルーのモンテゴ(英フォードだったかしら?) 最後の最後までどう決着するのかわからなかったし、読み終えるのがもったいないような作品でした。(2000.3.18)

最期の声アルファ・ロメオDiamond Dust (C)2002山本やよい訳 早川 2004

『女があらわれたら」ダイヤモンドはいった。「慎重な態度で臨まないとな。ここで何がおきているのか知らんが、おれの勘では、監視を続けて、じっと待って、女がどこへ戻っていくのか見届けたほうはいいと思う」
「同感です」ストーミーはいった。しばらくしてから、さらにつづけた。「気を悪くしないでほしいんですが、ピーター、女が車で走り去って―恐らくそうなるでしょう―こっちも車に飛び乗って尾行することになったときには、私にハンドルを握らせてくれませんか」
 ダイヤモンドの嘲笑。「きみのほうが運転がうまいってのか」
「警視の運転はまさに模範的ですからね。女がどっちの方角へ行ったのか、人に尋ねて回ることになりかねません」
 ダイヤモンドは肩をすくめた。「わかった」そして、つけくわえた。「一言警告しておこう。おれを助手席に乗せると口うるさいぞ」
 二時を二、三分過ぎたころ、老人がいったとおり、車の近づいてくる音が聞こえた。アルファ・ロメオのコンヴァーティブルで、トップの部分は淡い黄褐色、ダックポンド・コテージへつづく小路の入口で停まった。ドライバー―黒髪をゆるく束ねた若い女―は車からおりると、手に持ったリモコンのスイッチを押してドアをロックした。ターコイズブルーのセーター、黒のジーンズ、アンクルブーツという装いだった。
「いいスタイルだってわしがいったの、わかるだろう?」監視中の刑事たちの背後で、老人の甲高い声がした。ランチをすませて、忍足で二階にあがってきた。「なかなかのべっぴんだろが」』
--COMMENT--
 ダイヤモンド警視シリーズ7作目は、彼の最愛の妻が公園で何者かに殺されるというショッキングなストーリー。登場人物の一人一人のキャラクターがとってもいいし、これが英国ユーモアか!!と想わせる語り口はとても味わい深い。
 これまでの作品ではあまりでてこなかったが、ダイヤモンドの運転は引用のところにあるとおり、超安全運転だった。他でも<…M4の低速車線を時速50キロでのろのろ走りながら…どんなときでも、これがダイヤモンドの最高速度なのだ>とか<…ダイヤモンドの極端すぎる慎重運転で90マイルも走ったあと、ダイヤモンドはつぶやいた「高速道路は嫌いなんだ」…>なんてところもある。他には、捜査で連携する若い主任警部の白いボルボも。(2007.3.7 #462)

絞首台までご一緒にビクトリア乗合馬車Swing, Swing Together (C)1976三好一美訳 早川 2004

『クリッブはコールドバス・フィールドでホワイトホールへ行く緑のビクトリア乗合馬車を捕まえ、グレート・スコットランド・ヤード街のロンドン警視庁へ勢い込んで入っていった。日曜の夜八時半のこと、受付にいた内勤の巡査部長は<ニュース・オブ・ザ・ワールド>を読みふけっていた。
「アバーライン警部―は執務中かな?」とクリッブ。その短い質問に速やかな反応は返ってこなかった。
「アベイ? なんですって?」
「フレッド・アバーラインだ。まったく、一年間どこへいっていた?例の切り裂き魔の捜査主任だ」
「なんてことだ!」内勤の巡査部長は新聞を落とした。「アバーラインは非番ですが、まさか、また…?」
「違う」といいつつクリッブは受付をぬけて記録保管室へと移動した。
こちらで当番をしていた事務員のほうは反応が早かった。クリッブがカウンターへ来る前に<自転車タイムズ>を屑籠にいれた。 「ホワイトチャペル殺人事件だが」とクリッブ。「ファイルを見せてもらいたい」』
--COMMENT--
 ラヴゼイ初期のスコットランド・ヤード<クリッブ部長刑事とサッカレイ巡査>シリーズ7作目(全8作)19世紀末のロンドンで水遊びしていた女子学生が3人の男と犬がのった小船を見かけた夜に起きた殺人事件から端をはっする。元気で利発な学生と、とぼけた味わいの刑事が犯人を追って船旅をする。古臭さを感じさせないしゃれた読み物だ。
 1980年代ということで、車のかわりに乗合馬車がでていたシーンを抜き出し。(2007.3.12 #464)

漂う殺人鬼コルティナThe House Sitter (C)2002山本やよい訳 早川 2005

『ダイヤモンドはシャワーを浴び、夏の夜にゴルフクラブで開かれる大学の教職員パーティーに何を着ていけばいいかを決めた。クリーム色のズボンに、濃紺のワイシャツと水色の麻のジャケット。安全策として、内ポケットにネクタイを押し込んだ。ゴルフクラブともなれば、ネクタイがないと軽蔑されるかもしれない。(中略)
 クラブハウスの外で絶好の場所に古いコルティナを停めたのは、8時をすぎてからだった。ただし、メンバーの誰かから、そこはクラブの支配人専用の場所だと注意された。支配人は使っていないじゃないかと反論したい気持ちをぐっと抑えて、別の場所を見つけた。恭順の意をさらに示すために、ネクタイもつけることにした。黒地に銀色の手錠の柄がくりかえされている地味なネクタイで、どこかのおどけ者が警視の誕生日プレゼントにもてこいだと考えた代物だ。』
--COMMENT--
 ダイヤモンド警視シリーズ8作目は、サセックス州の混みあったビーチで女性の絞殺死体が発見され、同時に発生した著名人連続殺人予告事件との関連性を疑うダイヤモンドが活躍する。最後の最後まで真犯人がうかがえずやきもきしながら劇的な終結を迎える。多様な登場人物のキャラクター付け、しゃれた会話など、もう絶品のミステリですね。
 彼の車がおんぼろコルティナ(久しぶりに聞くなぁ)であることが多分始めて明らかにされた!! なかなか発見できなかった被害者女性の"ロータス・エスプリの2000年モデル"、広大な駐車場に放置されオーナーが追跡されるミツビシ二台、プジョー、レンジローヴァー、ビーチに居合わせたいわくつきの夫婦の白いホンダ・シヴィック、被害者の彼の古いBMW、連続殺人事件担当刑事の赤いルノーなど。そうそうガソリンスタンドの防犯ビデオには、のろまの"グレイのトヨタ"なんていうのも写っていた。
 けっさくなのは、原題"The House Sitter"は、犯人をおびき出すだすために殺人が予告された元ポップ歌手を急きょ留守番役にしたことからきていた。なんか迂遠なところが余裕というか脱帽もの。また、留守番宅猫とダイヤモンドの飼い猫といがみ合いシーンもユーモアたっぷり。(2007.3.15 #465)

死神の戯れコルティナThe Reaper (C)2000山本やよい訳 早川 2002

『夜のあいだに雪がうっすら積もっていて、この朝は古いコルティナのエンジンがなかなかかからなかった。教会の仕事で近辺を走りまわることが多すぎるのだ。バッテリーが弱っている。オーティス・ジョイがイグニッション・キーをまわすと、三度目でしぶしぶかかった。いつの日か、この古い小型車よりいい車を買うかもしれない。ほとんどの男と違って車にはあまり興味のないほうだが…。とにかく、長いドライブをすればバッテリーの充電も充分にできる。おまえのバッテリーも、おれもバッテリーもな、旧友よ―彼は思った。
 ほとんどの村人がベッドから出ることを考えもしない時刻に自分だけがおきていることを楽しみながら、オーティスは《ヒイラギとツタ》をハミングしつつ、牧師館の門からゆっくりと車をだした。ヘッドライトの必要がなくなるまでに、まだ一時間以上かかるだろう。そのため、しゃれたブルーのルノーが村からA350道路へと、一定の距離を保ってあとをつけてきていることは気づかなかった。それは単に、バックミラーにうつった一組のヘッドライトにすぎなかった。』
--COMMENT--
 12年ぶりのノン・シリーズで、片田舎の人気教会牧師の表と裏(背徳)を軸にしたサスペンス。いつもきっちり事件が解決されてしまうだけでは作家は面白くなく、こんな作品もたまに書いてみたくなるのか?
 車はダイヤモンドと同じコルティナを使わせている。ほかには主教のBMWなどが登場する。原題の"Reaper"は<刈る人、(擬人化された)死>の意味。このミステリのとおりだこと!! (2007.3.16 #466)

殺人作家同盟ポルシェThe Circle (C)2005山本やよい訳 早川 2007

『カリビエットが助かるためには、ドアの向こうの部屋が断熱材で遮断されていて、炎のなかでもちこたえられる状態でなくてはならない。しかし、すべてが木製だ。あっと言う間に炎上するだろう。
「近づく方法がありません」チェリーがいった。「あの入口から奥の部屋へいくのは無理です」
「じゃ、壁を破って突入だわ」ヘンは使えそうなものがないかあたりを見回した。屋敷の前には何もなかった。ヘンは車寄せの向こうを見つめた。
「誰か車のエンジンをかけてくれない?」
ポルシェの?」チェリーがきいた。
ヘンは応えなかった。目に入る範囲内に、車は一台しかない。
「ダンンカン?」
シリング刑事は車にくわしかった。まず、ポルシェのドアをあけて、キーが車内にないことを確認した。つぎに、ボンネットをあけ、リード線をゆるめて点火プラグにつないだ。エンジンがかかった。ボンネットの蓋をバタンとおろした。
「頼んだわよ!」ヘンはいった。
 シリングは車に乗り込み、スターティング・グリッドにならんだレーシング・ドライヴァーさながらにエンジンをふかしてから、サウナに向かって突進した。』
--COMMENT--
 ノン・シリーズとなっているが、仕事一本やりで男勝りのヘン・マリン主任警部(『漂う殺人鬼』に登場)ものの2作目といってもよい。小さな創作サークルの関係者の身辺でおきる放火事件で、それぞれ個性的な登場人物の描写が見事だし、最後の最後まで犯人像が絞れらずこれでホントに解決するのかしらと心配になるほどのはらはらドキドキ。  あまりに程遠そうな決着のせいか、著者は途中で<…いままで登場してこなかった人物が急に犯人なるなんてのは好きじゃない…>とヘン警部に言わせて、アリバイやら犯行意図がほとんどなくても真犯人がかならず身近にいると暗示するほど。もう面白さ、完成度とも素晴らしい。
 有鉛ガソリンを使った放火だったので、創作クラブのメンバーの車、どれも古い車ばかりが捜索される〜ロマンス小説家のミニ、豆知識本を書く未亡人のミニメトロ、ガーデニング愛好家のヴァン、会長のフォード・エスコートなど。引用は、炎上するサウナ小屋にポルシェを突っ込ませる派手なシーンだ。ただ、昨今はコンピュータ制御エンジンだったり、セキュリティの面からも、点火プラグに繋いだだけではエンジンはかからないと思いますがね?! (2007.3.26 #467)

探偵は絹のトランクスをはく三輪自転車The Detective Wore Silk Drawers (C)1971三田村裕訳 早川 1980

『二人とも足の痛さを忘れて、その道のほうへ駆け出した。例のヘルメットは、薄気味悪いほどなめらかに進んでいき、あわやというところで通り過ぎてしまいそうだった。二人が駆けながら叫ぶと、巡査は門を15ヤードほど通り越したところで急に停まった。
「なんだ。なんだね、いったい?」と、巡査は言ったが、まだ50インチのがっちりしたインド・ゴムのタイヤのついたアリントン・ディジダレイタム自転車の上にまたがったままだった。
「スコットランド・ヤード犯罪捜査部のものだ」クリッブは息をはずませながら言った。「クリッブ巡査部長とサッカレイ巡査で、連続殺人事件を捜査しているのだ。われわれはあんたの自転車が必要なんでね」
「殺人? 自転車?」三輪自転車のっていたこの巡査は、びっくりして、おうむ返しに言った。
「急いでくれ。ロンドンへ行かなければならないんだ」
「ちょっと待ってください、自分は…」と巡査は言った。
「もしすぐに降りないとですね、その乗り物から引きずり落とすことになりますよ!」
巡査はまだ、ひどく疑わしそうな顔つきだったが、クリッブの声のなかには、だれでもが注目しないではいられないような、決然とした調子があった。巡査は自転車を降りた。』
--COMMENT--
 このところヴィクトリア朝時代ミステリ《クリッブ&サッカレイ・シリーズ》を読み直して、本書でなんとか打ち上げ。その時代らしい風俗、話題、雰囲気がよく伝わってくるラヴゼイの筆力はたいしたものと感心するばかり。
 ボクシングが得意な若いおとり巡査(邦題の"探偵"は誤訳のような気がします)を送り込んだ、秘密の素手格闘戦会場に急いで向かうため、慣れない馬に乗ったり、途中で出会った巡査の自転車を徴用するシーン。三輪のディジダレイタム自転車というのが何度か登場して興味深かったのだが、英米のサイクル・ミュージアムなどを検索しても見つけられず、残念。なにしろ時代ディテールのこだわりがたいへんで他にも、<…ハワード・ショー氏のチャンピオン犬、1863年5月7日、ウィンブルドンのヘア・アンド・ビレットにおいて一時間に302匹のネズミを捕獲…>なんていうブルテリアがのったポスターが物語の初めと終わりに出てくる。うーん、ブルテリアなんて19世紀にもいたんだ。(2007.4.10 #469)

キーストン警官ブラッシュKeystone (C)1984中村保男訳 早川 1985

『「キーストンさんはグリフィス公園から送ってきてくださったのよ、母さん。親切な方もあったもんだわ」
「送ってきてくださったって?」
「車でよ」「車ですって?」
ブラッシュっていう車なの、明るい赤色していて、きれいな真鍮のヘッドライトがついている立派な車だわ」
「そんなこと訊いているんじゃないんだよ、アンバー」
「まあ、お母さんたら。そういうことが大切なのよ。とにかくあたしは気分が良くなかったのよ。市電で帰ってくるなんてとても無理だったわ」
「身体の具合がおかしいのかい?」
「おかしかったのよ、さっきまでは。そうでしょ、キーストン? この人が海岸に連れて行って新鮮な空気に触れさせてくれたのよ」
 アンバーの母親はまさしく新鮮な空気が必要なのだと言わんばかりの表情になった。「海岸にも行ったんだって?」
「そうよ、今、言ったとおりだわ。で、そのあとレストハウスで夕食をおごって下さったの」
私は夫人が気付け用の嗅ぎ薬に手を伸ばすのじゃないかと思った。』
--COMMENT--
 無声映画時代のハリウッド撮影所を舞台にしたノン・シリーズ。コメディ映画の警官役に採用された主人公キーストンが、事件にまきこまれた若手女優のアンバーをなんとか助けだすために探偵役を買ってでる。随所に喜劇映画の撮影現場や、おかしな監督、端役役者たちのジョークばかりの会話など、興味深いし楽しめる。
 キーストンの車が"ブラッシュ"、スタートするたびにクランクでエンジンをかけるシーンが何度もでてくる。ただし、blush、brushとかで1910年代のクラシックカーを検索してみたが、この車名は確認できず。もちろんたくさんのT型フォード、映画監督のパッカード、喜劇俳優のピアス・アローなども登場し、犯人をメキシコまで追いかけるシーンを含め、ラヴゼイ作品のなかでは最も車がたくさん登場するミステリといえる。(2007.4.16 #470)

処刑人の秘めごとポルシェ、ニッサン・パスファインダーThe Secret Hangman (C)2007山本やよい訳 早川 2008

『その夜、ダイヤモンドはパロマの住まいがあるリンカム・ヒルの急坂を車で登っていった。ダイヤモンドの頭のなかでは、リンカム・ヴェイルはつねにバースとはべつの場所だった。市内の温泉施設に対抗して、こちらも温泉保養地として発展したところで、<ジェイムズ王の宮殿>というご大層な名前のついたパブと行楽用の庭園がある。地元の伝説によると、ジェイムズ二世が1688年に退位したあとリンカムに身を隠したとされているが、王室との関係を立証する事実はない。それでも、不動産屋の宣伝文句によれば、リンカムはいまも憧れの住宅地になっているそうだ。
 パロマの家を見たとたん"憧れの"よりも"夢のような"という形容詞のほうがふさわしいと思った。ジョージ王朝様式のすばらしい玄関がついた三階建てで、手入れの行き届いた芝生のへりに石畳の大きな車寄せが弧を描いている。家の前にはパロマの銀色のポルシェが停まっていて、ほかにブルーのニッサン・パスファインダーもあった。ダイヤモンドはいっきに自信をなくし、今夜はひょっとしてディナー・パーティなのかと心配になった。
 ドアの呼鈴を押した後、「あ、ピーターよ、わたしが出るわ」というパロマの声をきいて、一瞬パニックに近い状態になった。スーツとロングドレスの客たちの姿が浮かんだ。彼のほうは、半袖シャツに淡い色のズボンというカジュアルな格好だ。』
--COMMENT--
 3年ぶりとなるダイヤモンド警視シリーズ8作目は、公園のブランコに自殺とみせかけた女性が吊るされているのが発見され、次に彼女の元夫、また別の夫婦…と事件が次々と拡がっていく。苦手の女性副本部長にきりきり舞させられたり、なぜか突如ラブラブになる素敵な女性(引用に登場するパロマ)に舞い上がったりしながら、部下を叱咤激励する強気のダイヤモンドが復活。個性溢れる登場人物たち、ジョークもユーモアたっぷりの会話、しっとりとした歴史的な街の描写も加え、味わいのある円熟のサスペンスでした。最後の最後に明かされる事件の背景は全く想像外のものですが、そこへ到るストーリーの積み重ねがもう完璧で、よくある<…そりゃ、ないよねー…>なんていう失望が皆無であり<安心して読める、よく出来たミステリー>ってこんなラヴゼイ作品を指すのだろうとつくづく思う。
 抜き書きの車に加え、女性刑事の"カーという愛称の虫みたいなフォード"、レストランのウェイターの古いホンダ、別件窃盗事件で使われるレンジローバーとトヨタ・ランドクルーザー、三番目の被害者夫婦のポルシェ・カイエン・ターボとミニ・クーパー、パーソナル・トレーナーのホンダ・シヴィック、有力被疑者のスバル・レガシー、ジャグジー・セールスマンのモンデオ、パロマの息子が使っているレンタカーのミツビシ・ショーグン…。なんともはやご当地でも日本車が大活躍です。それにしてもホンダの登場率はとても高い!! ただし、お金の余裕のないワーカークラスの車として描かれることが多く、以前の、その手の代表車だったトヨタ(カローラ)のお株を奪ってしまったようだ。(2008.8.23 #562)


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