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Arturo Perez-Reverte /アルトゥーロ・ペレス・レベルテ

ジブラルタルの女王サバーバンLa Reina del Sur, (C)2002喜須海理子訳 二見 2007

『ウィーン、ウィーン。ワイパーが単調な音を立ててフロントガラスのうえを動き、大粒の雨がまるで雹のような激しさでサバーバンの屋根を打っていた。運転席の連邦警察官がハンドルを左に切り、車はインスルヘンテス通りを走り始めた。助手席のポテ・ガルベスが左右に目を配り、膝の上のAK47アサルトライフルに両手を置いた。彼のジャケットのポケットにはサバーバンの無線と同じ周波数に合わせたトランシーバーがはいっており、後部座席のテレサのところにも、この作戦にかかわる警察官や兵士たちの声が聞こえてきた。
 ウィーン、ウィーン。まだ夜にはなっていなかったが、どんよりとした空のせいで通りは暗く、外灯を灯している店もあった。小さな隊列が投げかける光は雨に反射してあたり一面に広がっていた。サバーバンとその護衛隊――連邦警察のダッジ・ラム二台と荷台にマシンガンの射手をのせた軍のフォード・ロボ・ピックアップ・トラック三台――は、排水溝からあふれだしタマラス川に向かって通りを流れる茶色の水を盛大に跳ね上げながら進んでいた。』
--COMMENT--
 メキシコから逃亡し、スペインの麻薬輸送ビジネスに君臨するまでになった女性の非情な身辺を追う物語。上下合わせて800ページものボリュームでしたが、ジブラルタル海峡のボートを狙うヘリの襲撃戦、数奇な運命に翻弄される主人公や彼女の忠実なボディーガードの姿と陰影、麻薬取引の内幕などにまさに引き込まれました。国際紛争を扱うジャーナリストだった著者の確かな取材と筆力、それと詩的とも言える情景描写などが楽しめた。
 引用は、主人公がメキシコに戻りとある人物に逢うために警察に護衛されながら移動する緊張感あふれる大詰のシーン。テレサの好みのSUV、チェロキーも多く登場するし、主人公自身がスピードボートやクルーザーのエンジン整備もするほどのメカ通として描かれていて、ボートやクルーザーなのどの整備に関する詳しい記述も多い。(2008.4.11 #540)

呪いのデュマ倶楽部メルセデスEl club Dumas, (C)1993大熊榮訳 集英 1996

『鉄の門をぬけると、狭く暗い通りへ出た。通りの両側は通り過ぎる車であちこち削られていた。折りしも左手の、どこか見えないところからエンジンの音が聞こえてきた。彼は右に曲がった。交通標識があった。道路の道幅が狭くなる三角形の標識だった。
 彼がちょうどその標識のそばにたどり着いた時、車のエンジン音が不意に高まった。…中略…
 走りぬけた車は彼の手をかすっただけだった。しかし、衝撃は痛烈で、膝に震えがきた。彼はでこぼこの敷石の上に倒れこみながら、タイヤをきしませながら走り抜けていく車の後ろ姿をちらりと目撃した。
 かすり傷を負った手をこすりながら、コルソは駅へと歩き続けた。『九つの扉』が入ったバッグが肩に重く食い込んだ。三秒間のつかの間ながら目撃した光景は十分だった。今回、男はジャガーでなく、黒のメルセデスを運転していた。もう少しでコルソを轢きそうになった人物は色黒で口ひげをたくわえ、顔に傷跡があった。マカロバの酒場にいたやつだ。リアナ・タイリェフェルの家の前ではお抱え運転手の制服を着て新聞を読んでいた男だった。』
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 チェス・ゲームを描いた絵画に隠された隠し文字の謎をとく処女作『フランドルの呪画』に続く2作目。3冊しか現存しない超稀覯本『影の王国への九つの扉』と、デュマの『三銃士』のある章の手稿にまつわる愛書家たちの異常な遊戯を描くゴシック・ミステリ。古書の解き明かしに関心のあるファンには絶好の物語だとは思うが、かなりじっくり読み込む必要がある。
 引用のシーンは、稀覯本収集エージェントのコルソが何者かに付け狙われはじめるところ。他には、コルソの知人のシトロエン2CV(本書では"2HP"と書かれていたけど)などが登場。(2008.4.29 #542)

サンタ・クルスの真珠ベンツLa piel del tambor, (C)1998佐宗鈴夫訳 集英 2002

『飼い主の人柄がわかる犬、持ち主の人柄が感じられる車がある。ペンチョ・ガビラのベンツはぴかぴかに光っている黒塗りの大型車で、前部には、機関銃の照星のように威嚇的な尖った三ツ星がついていた。セレスティーノ・ペレヒルは車がきちんと停止しないうちに車外へ飛び出し、上司のためにドアをあけた。ラ・カンパーナ・カフェのまえの通りは、車の往来がはげしく、部下のサーモンピンクのワイシャツは襟が汚れていた。垢と黄色とグリーンの花模様のネクタイがなにか奇怪な交通信号のように光っている。エキゾースト・パイプからの黒煙に、薄くなった長く柔らかい髪がなびいた。
「髪がまた薄くなったな」と、ガビラが無遠慮に言った。
秘書にとって、髪について触れられるほどいやなことはなかった。それはわかっていた。しかし、家畜小屋の動物に敏捷さを失わせずにおくには、定期的に拍車をかけることだ、と銀行家は信じているのだ。おまけに、ガビラは冷酷な男で、キリスト教の美徳をそんふうに実際に試してみる癖があった。』
--COMMENT--
 セビリアのサンタクルス地区の再開発のため取り壊されそうになっている古い教会で転落事故がおき、ヴァチカン外務局から派遣された神父が調査にあたる。その教会を守ろうとする神父、アメリカ人修道女、スペイン名門貴族の末裔の母娘たちの個性豊かな人生に触れるうちに調査役の神父も彼らの機微にたぐり寄せられていく。ミステリというよりは、キリスト教を巡る薫り高い文学といった仕上がりです。
 引用は、車名がでてくる唯一のシーンで、教会の乗っ取りを企む銀行家のキャラクターを浮かび上がらせている部分。些細な校正ミスかと思うが、本書冒頭の人物紹介ページでフェロ神父の教会名がラグリマス"協会"となっていた。目立つところだけにね…
 2000年のスペイン旅行の際、セビリアの街を歩いているので文中に出てくる場所が思い起こされて懐かしくもあった。(2008.5.4 #543)


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