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Ian Sansom /イアン・サンソム

蔵書まるごと消失事件移動図書館バスThe Case of the Missing Books (C)2005玉木亨訳 創元 2010

『「ほら、こいつが俺の可愛い子ちゃんだ」テッドがいった。
「アァァァ」イスラエルは目をこすりながらいった。"可愛い子ちゃん"がはっきり見えてきた。色あせて錆び付いた残骸には、クリーム色と赤で塗装されたバスの面影がかろうじて残っていた。こぶし大のさびが何箇所もできており、マッシュルームらしきものがフロントガラスのまわりに生えていた。
テッドは両膝をついて、ホィールアーチと塗装を調べていた。
「いいぞ」テッドは満足げにひとりごちた。「よし、よし」バスのまわりを一周すると、動物を落ち着かせるみたいに好ましげにたたいてから一歩さがる。「どうだ?」
「そうですね……」イスラエルはいった。
「いいだろう?」テッドがいった。
「えーと……なんだかすこし…バスみたいだ、窓がないことを除けば」
「なかなか鋭いじゃないか、シャーロック・ホームズ」テッドがいった。「こいつはベッドフォード社製だ。VAMのバスの車台の上に作られている。見事なもんだろう?」
"見事"というのは、厳密に言うとイスラエルが頭に思い浮かべていた言葉とは少し違っていた。どちらかというと"ぽんこつ"、"がたらくた"、"不潔極まりない"、"おえぇ"、それに"今すぐここをでて家に帰りたい"といった言葉のほうが、彼の心境をより正確にあらわしていた。
「これは移動図書館じゃない」
「いや、こいつがそうだ」
「でも、こんな…走れるわけがない。こんなにガタがきてちゃ」
「なぁに、ペンキをひと塗りすれば、新品同様さ」テッドがいった。』
--COMMENT--
 ひさしぶりの図書館ものであり、世界どこへいっても似たような本好き"司書"キャラクター、滅法楽しいジョーク、古今東西の名著の引用、風変わりなアイルランドの人々…がふんだんにサービスされている。今後続く<移動図書館貸出記録シリーズ>訳出が待ち遠しい。
 引用は何年も前にお役ごめんとなっていたぽんこつ移動図書館バスに出合うシーン。本書カバーイラストにも描かれているかわいらしいバス。ほかに、タクシー運転手テッドの"屋根にでっかいプラスチック製のクマが載っている、おんぼろのオースチン・アレグロ"、司書なりたてイスラエルが唯一運転したことのある"母親のおんぼろホンダ・シビック"、ローカル紙のとびきりセクシーな女性記者のルノー・クリオなどが登場。(2010.4.3 #627)

アマチュア手品師失踪事件移動図書館車、シヴィックMr Dixon Disappears (C)2006玉木亨訳 創元 2010

『もっとも、このヴァン全体がそんな調子なので、驚くまでもなかった。結局は慣れの問題だった。実際、オイル交換とタイヤ空気圧の点検と冷却水の補充につねに目を光らせ、ドアに欠かさずワセリンをさしてすべりをよくし、給油の祭に給油装置のトリガーをきつく握り過ぎないように注意し、交流発電機のベルトの替えを常備し、さらにいつでもすぐ来てくれる献身的な修理工がいてくれさえすれば、このヴァンにはなんお問題もなかった。
 確かに、イスラエルの母親がロンドンの実家で使っていたおんぼろのホンダのシヴィックよりも、すこしばかり手間と整備が必要かもしれない。だが、間隔を自由に調節できる棚と2000冊の本を搭載するのは、シヴィックにはできない芸当だった。それどころか、シヴィックにはスーパーマーケットでの一週間分の買物とチョコレートライム・キャンディの袋と数枚のCDを積み込めたら、それで御の字だった。
 自分でも驚いたことに、イスラエルは都会での小型車の運転を卒業し、田舎を走り回るおんぼろの大型車の運転にすっかり順応していた。硬いギアや普通の車よりも高くて座り心地の悪い運転席に慣れ、かすかな異常音や振動に耳をすましてヴァンがふっ飛ぶまえにテッドにエンジンを調べてもらう習慣もすっかり身についていた。すべてが順調にいっていて自分が機械にさわらずに済む限り、イスラエルにはなんの不満もなかった。』
--COMMENT--
 移動図書館貸出記録シリーズ第2作は、田舎町になんとか順応してきた主人公が、展示のために訪ねていた地元百貨店でその経営者の失踪事件に巻き込まれる。とても個性的な北アイルランドの風土習慣、人々とのやりとりが全編で楽しめる。
 引用は第1作にひきつづき、おんぼろ移動図書館車の再評価?に関する部分、なお、このヴァンは犯罪現場の証拠として警察に押収されたり、警察の記者発表の会場用に使われたりする。このヴァンに乗って、事件の真相を探りにイスラエルとテッドが、物語の舞台となるアントリム郡タンドラム(北アイルランドのネイ湖岸、この村名は架空)からベルファストやずいぶんと遠いドニゴール(アイルランドの北西岸)に出かけたりもする。他には、百貨店経営者の"シルバーのメルセデスSL600"なども登場。また本作では、自転車に乗らなければならない場面もあって、さすが自転車の本場らしくスペックなど詳細に紹介されていた。イスラエルが借りる古い自転車は"スターメー・アーチャー社の3段変速ハブつきラレー・エルスウィック・ホッパー"、少なくとも80歳以上の地元の男性が乗る"パーツにカンパニョーロを使っているイタリア製のデ・セルビー"などと凝っていますなぁ。(2010.9.22 #654)


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