lagoon symbol

北 極 探 検 の 光 と 影

北極探検史データベースへ Latest Revised 2001/05/25

16世紀以来、多くの探検家たちが生命を賭して次から次へと北に向かっていった。北極探検の歴史は、一面、また悲劇の歴史でもあった。無数の悲劇と犠牲との高価な代償として、極地の空白はすこしずつ狭められていったのだ。19世紀に入ると、北極探検は、いっそう組織的なものとなり、目標ははっきりと三つにしぼられた。すなわち、北西航路、および北東航路の発見と、北極点の征服である。それにしても、未だ科学の発達していない時代の脆弱な帆船や気球に生命を託し、未知の荒涼とした氷の世界に次々に挑んでゆいく探検家たちの姿を思うにつけ、人間の生命を喰らいつくすこの不思議な情熱の力を、われわれはやはり「未知への好奇心」と呼ぶべきなのであろうか。

19世紀の北極探検史上最大の悲劇とされるフランクリン探検隊の物語を省くことはできない。北西航路の発見のために出発してたちまち行方不明となり、イギリス海軍の全力をあげての捜索にもかかわらず、ついにその神秘を明白に究明することはできなかった。

スエーデン人アンドレーは、一機の気球に生命を託して空から北極点に到達しようとした。しかし、この無謀な計画はたちまち失敗し、行方不明となった。しかもこの悲劇の全貌が、実に三十年以上もたってから忽然として極地の氷中に甦った。まさに、氷の世界の魔力にとりつかれ、死後もなお不思議な運命に弄ばれたと言えよう。

二十世紀の北極探検史上に途方もない波紋をなげたイタリア人ノビレの飛行船イタリア号の物語も然りである。この遭難者たちを救助するために、はからずも現代最大の極地探検家アムンゼンが犠牲となってしまった。

各国の探検家たちが、イタリア号の救助に懸命となっていた頃、アメリカのバードが、完全に機械化された大規模な探検隊をひきいて南極にむかった。すなわち、ノビレを救おうとして北氷洋に消えたアムンゼンの悲劇的な死を最後として、極地探検史は新しいページに入った。個人的な勇気と意志による大探検家の時代は終わりを告げた。しかし、この大探検家時代の゛影″があったからこそ゛光″が燦然と輝いたことも忘れてはならない。

この文は「極地に逝ける人々」【ド・ラ・クロワ著、奥又四郎訳、新潮社(1957)早大図書館所蔵】の訳者あとがきから引用させていただきました。

First edited 1998/04/13. Copyright (C) Takeshi Itoh, 1998-2004. All rights reserved. お問い合せメールフォーム
inserted by FC2 system